過去10年で一番びっくりした仕事
この10年で一番コストのかかった取材でした。
地元の居酒屋および定食屋を経営しているお店から依頼を受けたのですが、何せ。
内容が豪華すぎた。
松茸土瓶蒸しとかアナゴの白焼とか。
オーナーが県内の漁港に所属する船のデータを網羅していて、何日に何処にどの船が何を持って帰るかが分かるんです。
その中から良いものだけ厳選してお店にだすので、少なくとも魚介は一期一会です。
このお店で刺身を食べてからスーパーのお刺身が食べられなくなった、という意味もこめて、一番びっくりした仕事でした。
パートナーとして、クルーとして
私が人生ではたす一番大事な仕事はアンペイドワークです。夫のパートナーとして家庭という船のクルーであることです。
人生の仕事を見つけた瞬間
17歳のときに今のパートナーにであって、割と早い段階で
「この人です」
という確信が持てました。18歳になったらポロポーズして、お互い食い扶持を稼げるようになったら結婚してください、と言いました。同意してもらえたので、そこからはもう、パートナーになるために勉強して学校に行って資格を取って就職しました。
10代の終わり頃に、あまり迷ったりうろうろせずに目標に向かって生きていることができたのは幸運です。感謝しています。私の人生はこの人のために使おう、と思ったのでした。
働けなくなったとき
とはいっても、パートナーと出会ったときすでに統合失調症で不眠症で不登校でしたから、出席日数が足らなかったり、医者から受験を止められたり、という状況。
そのため、結構なアラワザを駆使して学校に行ったものです。
それでも大学にもいって大学院にいって資格とって就職したんですが、そこで限界。
結婚と同時に妊娠、そのとたんに、会社員という仕事ができなくなりました。
パートナーに救われた
お互い食い扶持が稼げたら結婚しよう、が前提だったのに、自分だけ仕事ができなくなったので落ち込みました。
が、パートナーはその時、
- 毎月限られた資金で生活をやりくりすること、それがあなたの仕事。
- やりくりした結果余剰が生まれたらそれがあなたの収入。
出産の後は一貫して、
- 自分に代わって子どもを守ってくれることがあなたの仕事。
ということを評価してくれています。
このゆとりがなかったら、息子2人育てられなかったです。
家事や育児はアンペイドワークといって、労働だけど賃金が発生しない。だからそもそもこれを仕事と認識しない人もいる。
私の最大の幸運は、パートナーがアンペイドワークを「労働」と評価してくれたこと、対価として「感謝」をくれること。
家族というよりクルー
息子たちは家族というよりこどもというより、クルーという認識が強いです。
同じ船でそれぞれの役割を果たすクルー。みんながみんなの仕事をこなさないと順調に航海しない。
だから、少年2人もそれぞれにアンペイドワークを果たしていますし、彼らの努力で船が進むことに私は感謝する。
それが、彼らにとって報酬であれば、なおいいと思います。
過去10年で一番エキサイトしたお仕事
鳥取市内で始めて小学生対象の本格チアリーディング教室を開催される、講師の女性を取材した記事です。
お話を聴いたとき印象部的だったのが、チアリーディングという表現スポーツが小学生に有益だということ。
普通、チアリーディングというとプロスポーツのハーフタイムショーに成人女性がパフォーマンスする、というイメージが強いのでは?
でも実際には成長期の子どもの発達に有効な要素が多いんです。
- みんなで動きを揃えること→コミュニケーション
- 複雑な動きをする、あるいは固定する→体幹を鍛える
- 構成が自由自在→一人ひとりの個性が活かせる
このときは体験教室に人数制限がありましたが、記事公開当日にすぐ5人申込みがあったんです。その後も申し込みが増え続けて、結果的に人数の上限が増えました。
この瞬間が、一番エキサイトした仕事だったと思います。
※今後さらにエキサイトする仕事ができたらいいな
過去10年で一番苦しかった仕事
とっとりずむにライターとして参加してから3年めくらいに、編集長と関わりのある会社に参加させていただいて書いた記事です。
転職エージェントの比較、調査、口コミ紹介、メリット・デメリットなどを掲載している転職のリアコミさんです。
最初にもらったお仕事が、コンサルタントに特化した転職エージェントに関する記事作成だったのですが…。
いや、これは本当に辛かった。辛かった要因として、
とにかくなにもかも分からない状態でやり始めて、本当に苦しみのたうち回った記事です。
完成するまて掛かった時間は…、秘密。
そこからえた教訓が、
「知らないことや苦手なことは書かないか、よっぽど覚悟をきめて書かないといけない」
でした。
過去10年で一番思い出に残っている仕事
一番最初にライターとして参加させていただいたメディア、
「とっとりずむ」において、
おそらく一番文字数を使わせていただいた記事です。
「とっとりずむ」は、
株式会社とっとりずむさんが運営する
鳥取県内の観光、グルメ、子育て情報などを発信するサイトです。
2021年現在での1日平均PV数は15,000PVで、特に関西圏からの利用者が多いようです。
とっとりずむに参加した理由は、私の加入当初のとっとりずむの状況が
- 3〜40代の女性の読者が多い
- 子育て世代であることから、県内の子育て情報を増やしたい
であったことに起因します。
当時息子二人の子育て真っ最中で、年齢も30代、及び次男が幼児だったからできるだけ家でできる仕事を希望する。という私のニーズと編集長のニーズが合致したからいただけたお仕事でした。
何よりも、当時子育てが本当に苦しかった。
とっとりこども学園は、「ゆりかごから墓場までケアする児童養護施設」を掲げるほど幅広いケアが特徴で、新しい子育てと養育のモデルケースとして県外からの視察や研修希望も多く寄せられる実績と歴史の深い施設です。
私自身も長男が0歳のときいろいろな手段で支援していただけました。
この施設がなかったら、彼はこうまで健やかに生長しなかっただろう。
と、おもうほど。
なので、鳥取市で子育て情報としてまず発信すべきはここだ。と思って取材させていただいたものです。
10年の職歴で一番思い出深いものでした。
デッドオアアライブな毎日とこれから
はじめまして。
森本いずみと申します。
ウェブライターとしてお仕事をいただくようになって今年で10年目。
ポートフォリオをまとめるためにブログを開設しました。
今までポートフォリオを作らなかったわけ
仕事が増えると私は死ぬ。
別に息の根が止まるわけではないですが、活動範囲がかなり制限されてしまうのです。なぜなら私は精神障害者手帳2級の本格派、
- 対人ストレス
- 大きな音
- 強い光
- 環境の急な変化
に大変弱い。
なのになぜいっそ首をつらなかったのか?
死んでも良かったんですけどね。
死ななかったのは、自分の力を利用して生きていく人がこの世に3人いて、そのメンバーが大好きだからです。私が死(の状態に限りなく近づく)ぬと彼らが困る。だから今まで仕事量を増やさないために、ポートフォリオを作ってきませんでした。
今になってポートフォリオを作る意味
仕事量をいよいよ増やそうかなと思ったからです。
いよいよ死んでもいいから、自分を試みようと思ったからです。
理由はいろいろあるんですが、まず、私を使って生きている人々もだいぶ生存力が上がったこと、そして、人間の耐用年数を考えると、
私はせいぜいあと20年生きれば良い方だ。
だから、もう生に固執しなくても大丈夫。
やりたかったことをやってみよう。そういうことに命を使おう。
そのために、今までやってきた仕事と、
これからやってみたい仕事についてのお話を、ここに綴っていこうと思います。
よろしくおねがいいたします。